AIに聞けば、たいていのことは数秒で答えが返ってきます。
晩ごはんの献立、旅行のプラン、メールの返事の書き方、買うかどうか迷っている家電の比較。ほんの少し前まで、自分で調べて、悩んで、決めていたことです。それが今は、質問を一つ入力するだけで、整理された答えが出てきます。
正直に言うと、とても楽です。私も毎日のように使っていますし、手放せない存在になってきました。
ただ、ふとした瞬間に、背中が少しひやっとすることがあります。
「あれ、これ自分で決めたっけ?」という瞬間
先日、ある買い物をしたあとに、ふと考えてしまいました。
「これ、なんで選んだんだっけ?」
思い返してみると、AIに「おすすめを教えて」と聞いて、出てきた候補の中から、一番上のものを選んだだけでした。比較表も見ました。理由も説明されていました。納得したつもりでした。
でも、「自分がなぜそれを選んだのか」と聞かれたら、うまく答えられません。「AIがそう言っていたから」としか言えないのです。
買い物なら、たとえ失敗しても笑い話で済みます。問題は、これが少しずつ大きな選択に広がっていったときです。
怖いのは、間違った答えではなく「確認しなくなる自分」
AIの答えが間違っていることは、もちろんあります。それは広く知られていますし、使う側も気をつけるようになってきました。
ただ、私がいちばん怖いと感じたのは、そこではありません。
答えが毎回それなりに正しいと、人は少しずつ確認をやめていきます。最初は「念のため調べておこう」と思っていたのに、何回も当たりが続くと、その「念のため」が面倒になってくる。そして、ある日いつものように任せたとき、たまたまその一回が外れていた。それでも、気づけないかもしれない。
間違いが怖いというより、間違いに気づく力が、使わないうちに弱っていくことが怖いのです。
筋肉も、使わなければ落ちていきます。考えることも、選ぶことも、たぶん同じです。
後から怖くなるのは、だいたい「静かな日」
不思議なもので、AIに任せているその瞬間は、ほとんど怖くありません。むしろ頼もしいくらいです。
怖くなるのは、あとからです。
- 夜、布団に入ってから、ふと今日の選択を思い返したとき
- 誰かに「どうしてそうしたの?」と聞かれて、言葉に詰まったとき
- うまくいかなかったときに、「あれは自分の判断だったのか」と考えたとき
そんな静かな時間に、じわっと不安が顔を出します。
任せているときには見えなかったものが、立ち止まったときに見えてくる。「便利」と「怖い」は、同じ場所にいつも並んでいるのかもしれません。
任せていいもの、任せたくないもの
では、AIを使うのをやめればいいのかというと、そうは思いません。それはもう現実的ではありませんし、そもそも便利なものを手放す必要もないはずです。
大事なのは、何を任せて、何を自分で握っておくかを、自分で決めることだと思っています。
私なりに、いま意識していることがあります。
1. 任せる前に、自分の答えを一度だけ考える
たとえ雑でも構いません。「私ならこうするかな」と先に思い浮かべてから聞くと、AIの答えとのズレが見えて、判断の材料が増えます。
2. 「なぜそれがいいのか」を自分の言葉で言えるか確かめる
説明できないまま選んだものは、あとで必ず不安になります。言えるなら、それは自分で選んだことになります。
3. お金・健康・人間関係に関わることは、必ず一度立ち止まる
やり直しがきかないものほど、最後の確認は自分の目と頭で行いたいところです。
4. 迷う時間を「無駄」と決めつけない
悩んでいる時間は、遠回りに見えて、自分の価値観を知る時間でもあります。そこを全部省くと、効率はよくなっても、納得は薄くなっていく気がします。
便利さのいちばん奥にあるもの
AIは、私たちの代わりに考えてくれます。でも、その結果を引き受けるのは、結局のところ自分です。
うまくいったときは「AIのおかげ」と言えても、うまくいかなかったときに「AIのせい」にしきれないのが、人間の面白くて、少ししんどいところだと思います。
だからこそ、任せた選択を後から怖いと感じる日があるのは、悪いことではないのでしょう。その怖さは、「自分の人生の運転席に、まだ自分が座っていたい」という気持ちの裏返しなのかもしれません。
怖いと思えるうちは、まだ大丈夫です。
その感覚を忘れずに、便利さとほどよく付き合っていきたいと思います。
あなたは最近、AIに任せた選択はありましたか? その選択を、自分の言葉で説明できますか?
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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