ふと、そんなことを考える夜があります。
AIが文章を書き、画像を作り、動画まで生成してしまう。企業の公式アカウントは洗練され、プロの発信者は増え続けている。そんな中で、ひとりの人間が自分の言葉でネットに何かを書くことに、まだ意味はあるのだろうか。
結論から言うと、私は「続く」と思っています。ただし、これまでと同じ形のままではないはずです。
「発信する時代」は、いつ始まったのか
個人が発信できるようになったのは、ほんの少し前のことです。
昔は、自分の考えを世の中に届けるには、新聞や雑誌、テレビといった「場」を通す必要がありました。ところがブログが生まれ、SNSが広がり、動画投稿が当たり前になり、誰でも自分のメディアを持てるようになりました。
台所の隅で書いた日記が、遠く離れた誰かの心に届く。名前も顔も知らない相手から「読みました」と言われる。この体験は、それまでの時代にはなかった新しい喜びでした。
情報の量は増えた。でも、足りないものがある
いま、ネットには驚くほどの情報があふれています。調べれば、たいていのことは数秒で答えが出ます。AIに聞けば、整った文章でまとめてくれます。
それでも、人はなぜか「誰かの体験談」を探してしまいます。
- 同じ悩みを抱えた人は、どうやって乗り越えたのか
- 実際に使ってみた人は、どこで迷ったのか
- 失敗した人は、そのあと何を思ったのか
こうした問いに対する答えは、正しさよりも「実感」に宿ります。情報が増えれば増えるほど、「この人が、自分の目で見て、自分の頭で考えた」という手触りの価値は、むしろ上がっていくのではないでしょうか。
変わるのは「発信の意味」
ただ、変わっていく部分もあると感じています。
以前は「たくさんの人に届けること」が発信の目標になりがちでした。フォロワー数、閲覧数、収益。数字は分かりやすく、励みにもなります。
けれど、これからは少しずつ、こんな方向に重心が移っていくように思います。
- 大勢に読まれるより、本当に必要な人に届くこと
- 完成された情報より、迷いながら考えた過程が伝わること
- 速さより、その人らしい視点があること
文章のうまさだけなら、AIはすでにかなりの水準にいます。でも「なぜ、この人はこのことを書こうと思ったのか」という背景までは、本人にしか語れません。
それでも、しんどくなる日はある
正直なところ、続けていると心が折れそうになる日もあります。
書いても読まれない。数字が伸びない。同じジャンルに強い人がどんどん現れる。「自分がやる意味はあるのかな」と思ってしまう。
そんなとき、私は発信の理由をもう一度考え直すようにしています。誰かに勝つためではなく、昨日の自分より少しだけ整理された気持ちで、今日の言葉を置いておくため。そう考えると、少し肩の力が抜けます。
発信は競争である前に、自分の考えを形にする行為です。読んでくれる人が一人でもいれば、それはもう立派な「届いた」です。
個人が発信する時代は、静かに形を変えながら続く
派手なブームのような盛り上がりは、落ち着いていくのかもしれません。けれど、人が誰かの言葉に救われたり、背中を押されたりする限り、個人の発信がなくなることはないと思います。
AIが得意なことはAIに任せて、人は「自分が感じたこと」を書く。そのほうが、むしろ自然な役割分担なのかもしれません。
もしあなたが、いま「発信を続ける意味」に迷っているなら、一つだけ思い出してみてください。
あなたが何気なく書いたその一文を、ちょうど今の自分に必要だったと思って読んでいる誰かが、どこかにいるかもしれません。
個人が発信する時代は、まだ終わっていません。ただ、少しだけ、静かで、やさしい形になっていくのだと思います。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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