ふと気づくと、自分もほとんど投稿していない。
スマホを開けば、タイムラインを眺め、動画を流し、誰かのレビューを読み、気になった記事をスクロールする。いいねを押すことはあっても、自分の言葉で何かを書くことは、めっきり減りました。
「見る専門」。いつからか、そう呼ばれる人たちが当たり前にいる時代になりました。そして多分、その中にはあなたも、私も含まれています。
「見る専門」は、悪いことなのか
最初に言っておきたいのは、見る専門は決して悪いことではない、ということです。
誰もが発信者であることを求められた時代は、思った以上に疲れるものでした。何かを書けば反応が気になり、反応がなければ落ち込み、反応があれば別の意味で緊張する。そんな場所から少し距離を置いて、静かに眺める側に回るのは、とても自然な選択だと思います。
読む、観る、聴く。それだけでも、ネットは十分に豊かな場所です。見る専門の人がいなければ、発信する人の言葉は誰にも届きません。静かな観客は、ネットの文化を支えるもうひとつの主役でもあります。
見る専門が増えると、何が変わるのか
ただ、見る側が増え、書く側が減っていくと、ネットの景色は少しずつ変わっていきます。
① 発信する人の「濃さ」が増す
書く人が限られてくると、残るのは本気で発信したい人、仕事として発信する人、発信が好きでたまらない人です。だからこそ、一つひとつの発信に熱量や専門性が宿りやすくなります。
② 「普通の人の声」が見えにくくなる
一方で、「ちょっと困った」「実際に使ってみたらこうだった」という、何気ない日常の声が少なくなります。ネットの価値の一つは、名もなき誰かの実体験にありました。それが減っていくのは、少し寂しいことです。
③ 声の大きい人ほど目立つ
発信する人が少なくなるほど、一人ひとりの影響力は大きくなります。見る側は、「みんなそう思っているのだろう」と感じてしまいがちですが、実際には、書いた人の意見が目立っているだけ、ということも増えていくはずです。
AIが入ってくると、さらに景色は変わる
ここに、AIという新しい書き手が加わります。
文章も画像も動画も、AIが整った形で作れる時代です。見る専門の人が増えるほど、「発信の穴」をAIが埋めていく流れは、おそらく止まりません。
そうなると、ネットはこう変わっていくのではないでしょうか。
- 情報の量は、これまで以上に増える
- 整っているけれど、誰が言っているのか分からない文章も増える
- 「人が書いた」こと自体が、ひとつの価値になる
つまり、見る専門の人が増えた先にあるネットでは、「何が書いてあるか」だけでなく、「誰が、どんな気持ちで書いたのか」が、選ばれる理由になっていくのだと思います。
見る専門の人が、これからできること
では、見る専門のままでいいのか。私は、いいと思っています。ただ、ほんの少しだけ関わり方を変えられるなら、こんな方法があります。
- 「いいね」より、一言のコメントを置いてみる
長い文章でなくても、「参考になりました」の一言は、書き手にとって大きな支えになります。 - 気に入った発信を、誰かに紹介してみる
SNSで共有する、友人に話す。それだけで、良い発信が次の読み手に届きます。 - 自分の「小さな体験」を、たまに書いてみる
誰かに読ませるためではなく、メモのつもりで十分です。その一行が、数年後、同じことで悩む誰かの助けになるかもしれません。
全員が発信者になる必要はありません。ただ、「見るだけ」と「ほんの少し関わる」の間には、思っているよりたくさんのグラデーションがあります。
終わりに
ネットは、これからも変わり続けるでしょう。見る専門の人はもっと増え、AIの書き手も増え、情報の流れは今よりずっと速くなるはずです。
それでも、画面の向こうには、いつも「誰か」がいます。何かを伝えたくて言葉を選んでいる人がいて、それを静かに受け取っている人がいる。その関係そのものは、きっとこれからも変わらないと信じています。
見る専門の人が増えたネットは、冷たい場所になるのではなく、「静かな読み手」と「誠実な書き手」がゆるやかにつながる場所になっていく。そんな未来であってほしいな、と思いながら、今日もこの記事を書きました。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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