晩ごはんの店を探すとき、気がつけば最初にAIに聞いている自分がいます。
「今日のおすすめは?」と打てば、数秒で答えが返ってきます。しかも、それなりに当たります。外れたと感じることのほうが少ないくらいです。
便利です。とても便利です。ただ、この便利さに慣れきった自分を見て、ふと思ったことがありました。これ、選んでいるのは本当に自分なのか?
「おすすめ」は、いつから「正解」になったのか
少し前までのおすすめは、誰かの顔が見えるものでした。友達が「ここ美味しかったで」と教えてくれたり、お店の人が「今日はこれがええよ」と勧めてくれたり。そこには、その人の好みや癖が混じっていました。
AIのおすすめには、その癖がありません。整っていて、無難で、それなりに納得できる。だからこそ、「AIが言うならそうなんやろな」と、疑う前に受け入れてしまいます。
おすすめだったはずのものが、いつのまにか正解の顔をしている。この変化がいちばん怖いところかもしれません。
便利さの裏で、静かに減っていくもの
AIに任せるのは、店選びだけではありません。見る動画、読む記事、買う物、旅行先、人によっては、返信の文面まで任せています。
一つひとつは小さなことです。でも小さな「お任せ」を積み重ねていくと、迷う時間が確実に減っていきます。
迷う時間は、無駄に見えて、実は自分の好みを知る時間でもあります。「これ、ちょっと違うな」「こっちのほうが気になるな」と悩んで、選んで、失敗して、そこで初めて「自分はこういうのが好きなんや」と分かる。
その試行錯誤を省いたまま答えだけを受け取っていると、満足はしていても、自分の好みが育たないままになっていくのではないか。そんな気がしています。
「外れ」がなくなった世界のさみしさ
AIのおすすめは外れにくい。これは大きな長所です。
けれど、思い出に残るのは、完璧だった店よりも、たまたま入って「なんやこれ」と笑った店だったりします。予定外の道に迷い込んで見つけた景色や、間違えて頼んだのにやたら美味しかった一皿。そういう偶然は、効率のいい選び方からは生まれにくいものです。
外れを引かない代わりに、思わぬ当たりも引きにくくなる。そう考えると、おすすめに従い続けることは、安全な道を選び続けることでもあります。
AIを疑うのではなく、使い方を決める
ここで「AIはやめましょう」と言いたいわけではありません。私自身、毎日のように使っていますし、手放せません。
大事なのは、どこまで任せて、どこから自分で決めるかを、自分で線引きしておくことだと思っています。
たとえば、こんなふうに考えてみるのはどうでしょう。
- 調べ物や比較など、材料集めはAIに頼る
- 最後に「どれにするか」を決めるのは自分にする
- たまにはあえて、おすすめを無視して選んでみる
- 「なんでこれを選んだか」を、自分の言葉で一言だけ言えるようにしておく
特に最後の「一言」は効きます。「AIがそう言ったから」ではなく、「私はこれが気になったから」と言えるかどうか。それだけで、選んだものが自分のものになる気がします。
おすすめは、答えではなく「ヒント」
AIのおすすめは、とても優秀なヒントです。でも、ヒントはヒントのままにしておきたい。
人生は、効率よく正解を拾っていくゲームではなくて、迷ったり、遠回りしたり、ときには間違えたりしながら、自分の好きを見つけていくものだと思うのです。
今日の晩ごはんも、AIに聞く前に、一度だけ自分に聞いてみようと思います。「今、何が食べたい?」と。
その答えが、ラーメンでも、たこ焼きでも、コンビニのおにぎりでもいい。それが自分で選んだものなら、きっとAIの完璧なおすすめより、少しだけ美味しいはずです。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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