2026年11月3日火曜日

AIが決めた「おすすめ」に、人生を委ねていないか

 晩ごはんの店を探すとき、気がつけば最初にAIに聞いている自分がいます。

「今日のおすすめは?」と打てば、数秒で答えが返ってきます。しかも、それなりに当たります。外れたと感じることのほうが少ないくらいです。

便利です。とても便利です。ただ、この便利さに慣れきった自分を見て、ふと思ったことがありました。これ、選んでいるのは本当に自分なのか?

「おすすめ」は、いつから「正解」になったのか

少し前までのおすすめは、誰かの顔が見えるものでした。友達が「ここ美味しかったで」と教えてくれたり、お店の人が「今日はこれがええよ」と勧めてくれたり。そこには、その人の好みや癖が混じっていました。

AIのおすすめには、その癖がありません。整っていて、無難で、それなりに納得できる。だからこそ、「AIが言うならそうなんやろな」と、疑う前に受け入れてしまいます。

おすすめだったはずのものが、いつのまにか正解の顔をしている。この変化がいちばん怖いところかもしれません。

便利さの裏で、静かに減っていくもの

AIに任せるのは、店選びだけではありません。見る動画、読む記事、買う物、旅行先、人によっては、返信の文面まで任せています。

一つひとつは小さなことです。でも小さな「お任せ」を積み重ねていくと、迷う時間が確実に減っていきます。

迷う時間は、無駄に見えて、実は自分の好みを知る時間でもあります。「これ、ちょっと違うな」「こっちのほうが気になるな」と悩んで、選んで、失敗して、そこで初めて「自分はこういうのが好きなんや」と分かる。

その試行錯誤を省いたまま答えだけを受け取っていると、満足はしていても、自分の好みが育たないままになっていくのではないか。そんな気がしています。

「外れ」がなくなった世界のさみしさ

AIのおすすめは外れにくい。これは大きな長所です。

けれど、思い出に残るのは、完璧だった店よりも、たまたま入って「なんやこれ」と笑った店だったりします。予定外の道に迷い込んで見つけた景色や、間違えて頼んだのにやたら美味しかった一皿。そういう偶然は、効率のいい選び方からは生まれにくいものです。

外れを引かない代わりに、思わぬ当たりも引きにくくなる。そう考えると、おすすめに従い続けることは、安全な道を選び続けることでもあります。

AIを疑うのではなく、使い方を決める

ここで「AIはやめましょう」と言いたいわけではありません。私自身、毎日のように使っていますし、手放せません。

大事なのは、どこまで任せて、どこから自分で決めるかを、自分で線引きしておくことだと思っています。

たとえば、こんなふうに考えてみるのはどうでしょう。

  • 調べ物や比較など、材料集めはAIに頼る
  • 最後に「どれにするか」を決めるのは自分にする
  • たまにはあえて、おすすめを無視して選んでみる
  • 「なんでこれを選んだか」を、自分の言葉で一言だけ言えるようにしておく

特に最後の「一言」は効きます。「AIがそう言ったから」ではなく、「私はこれが気になったから」と言えるかどうか。それだけで、選んだものが自分のものになる気がします。

おすすめは、答えではなく「ヒント」

AIのおすすめは、とても優秀なヒントです。でも、ヒントはヒントのままにしておきたい。

人生は、効率よく正解を拾っていくゲームではなくて、迷ったり、遠回りしたり、ときには間違えたりしながら、自分の好きを見つけていくものだと思うのです。

今日の晩ごはんも、AIに聞く前に、一度だけ自分に聞いてみようと思います。「今、何が食べたい?」と。

その答えが、ラーメンでも、たこ焼きでも、コンビニのおにぎりでもいい。それが自分で選んだものなら、きっとAIの完璧なおすすめより、少しだけ美味しいはずです。

ここまで読んで頂き、ありがとうございます

PR
コータのAmazonページへ


コータのAIイラスト、Xページへ


コータのユーチューブページへ

よろしければ、
のぞいてみてください


0 件のコメント:

コメントを投稿