昔ながらのメディア。
古い情報の出し方。
一方的に伝える仕組み。
そんな意味で使われることが多い言葉です。
たしかに、今の時代はネットがあります。
ニュースも、動画も、個人の意見も、スマホひとつでいくらでも見ることができます。
だから、テレビや新聞だけを信じる時代ではなくなりました。
けれど、だからといって、オールドメディアを全部疑えばいいのかというと、それも少し違う気がします。
大事なのは、メディアを疑うことだけではなく、自分の見方も一度疑ってみることなのかもしれません。
ネットには自由があります。
誰でも発信できるし、テレビでは扱わないような話題も見つかります。
大きなニュースの裏側にある小さな声。
現場にいた人の感想。
専門家ではないけれど、生活者として感じた本音。
そういうものに触れられるのは、ネットの大きな良さだと思います。
ただ、その自由さは、同時に危うさも持っています。
自分が見たい情報だけを見ることもできます。
信じたい意見だけを集めることもできます。
嫌いな相手を悪く言ってくれる情報ばかりを選ぶこともできます。
そうなると、テレビを疑っているつもりが、実はネットの中で自分に都合のいい情報だけを信じているだけかもしれません。
オールドメディアには、たしかに問題もあります。
伝え方が偏っているように感じることもあります。
大事な部分を省いているように見えることもあります。
同じ話題ばかりを何度も流しているように感じることもあります。
でも、ネットにも同じような偏りはあります。
強い言葉の投稿ほど広がりやすい。
怒りをあおる見出しほど読まれやすい。
単純でわかりやすい悪者を作った話ほど、拡散されやすい。
結局、場所がテレビからネットに変わっても、人が情報を見る以上、そこには感情が入ります。
「これは本当なのか」だけではなく、
「自分はなぜこれを信じたいのか」も考えた方がいいのかもしれません。
人は、自分がもともと持っている考えに近い情報を見ると、安心します。
やっぱりそうだった。
自分の考えは間違っていなかった。
あの人たちはおかしい。
そんなふうに思える情報は、とても気持ちがいいものです。
でも、その気持ちよさが強すぎると、反対側の意見を見なくなります。
そして、自分とは違う考えを持つ人を、すぐに「だまされている人」「何もわかっていない人」と決めつけてしまうことがあります。
それは、テレビを信じすぎることと、あまり変わらないのかもしれません。
信じる対象が変わっただけで、考えることをやめてしまっているからです。
情報を見るときに大事なのは、ひとつの場所だけで決めつけないことだと思います。
テレビにはテレビの見方があります。
新聞には新聞の見方があります。
ネットにはネットの見方があります。
個人の投稿には、その人の立場や感情があります。
どれかひとつを完全な正解にするのではなく、少し距離を置いて見る。
この人は何を伝えたいのか。
何を強調しているのか。
何を言っていないのか。
自分はどこに引っかかったのか。
そうやって考えるだけで、情報との付き合い方は少し変わる気がします。
オールドメディアを疑うことは、悪いことではありません。
むしろ、情報をそのまま受け取らない姿勢は大切です。
でも、それと同じくらい、自分の目も完全ではないと知っておきたいです。
自分の好き嫌い。
怒り。
不安。
過去の経験。
信じたい気持ち。
そういうものが、知らないうちに情報の見え方を変えていることがあります。
同じニュースを見ても、人によってまったく違う印象を持つのは、そのためなのかもしれません。
今は、情報が多すぎる時代です。
昔よりも自由に知ることができる一方で、昔よりも迷いやすい時代でもあります。
だからこそ、「どのメディアが正しいか」だけでなく、「自分はどう見ているのか」を考えることが必要になってきている気がします。
オールドメディアを疑う。
ネットの情報も疑う。
そして、自分の見方も少し疑ってみる。
そのくらいの距離感が、今の時代にはちょうどいいのかもしれません。
情報に振り回されないために必要なのは、誰かをすぐに信じることでも、すぐに否定することでもなく、いったん立ち止まること。
画面の向こうにある言葉を見ながら、自分の心の動きも一緒に見てみること。
それが、ネットの時代を生きるための、静かな力になるのだと思います。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
PR
よろしければ、
のぞいてみてください
0 件のコメント:
コメントを投稿