2026年7月5日日曜日

オールドメディアを笑えないネットの怖さ

テレビや新聞のことを、ネットではよく「オールドメディア」と呼ぶ。

その言葉には、少し皮肉が入っている。
古い。遅い。偏っている。都合の悪いことを隠している。
そんな不信感が、まとめて乗っている言葉なのだと思う。

たしかに、テレビや新聞を見ていて、違和感を覚えることはある。
なぜこの話題ばかり大きく扱うのか。
なぜこの部分はあまり触れないのか。
なぜ同じような専門家ばかり出てくるのか。

そう感じる人が増えたからこそ、ネットの声は大きくなった。

ネットなら本当のことがわかる。
ネットなら隠された情報にたどり着ける。
ネットなら自分で調べられる。

そう思えるところが、ネットの強さでもある。

でも最近、ふと思う。
本当にネットは、オールドメディアを笑えるほど安全なのだろうか。

ネットにも、かなり怖いところがある。

たとえば、怒りが広がる速さだ。
誰かの一言、切り取られた動画、短い投稿。
それだけで一気に火がつく。

最初は「これはおかしい」と思って見ていたはずなのに、気づけば誰かを叩く流れに参加していることがある。

真実を知りたいという気持ちよりも、誰かを悪者にしたい気持ちが先に走ってしまう。

これは、かなり怖い。

テレビの偏りを批判している人が、ネットでは別の偏りに飲み込まれていることもある。

自分の考えに近い投稿ばかり見る。
自分が嫌いなものを批判する動画ばかり見る。
自分と同じ怒りを持つ人たちの中にいる。

そうすると、だんだん世界が単純に見えてくる。

あっちは悪い。
こっちは正しい。
あの人たちは騙されている。
自分たちは気づいている。

この感覚は気持ちいい。
でも、危ない。

オールドメディアが一方的に情報を流すものだとしたら、ネットは自分から一方的な情報を選びに行ける場所でもある。

しかも、その選んでいる感覚があまりない。
おすすめに出てきた。
みんなが言っている。
バズっている。
何度も見かける。

それだけで、なんとなく本当らしく感じてしまう。

けれど、何度も見た情報が正しいとは限らない。
大勢が怒っているから正しいとも限らない。
短くわかりやすい言葉ほど、何か大事な部分を削っていることもある。

ネットの怖さは、間違った情報があることだけではない。
間違っているかもしれない情報を、自分が気持ちよく信じてしまうところにある。

そして、それを信じている自分を疑いにくいところにある。

オールドメディアは古い。
そう言うのは簡単だ。

でも、ネットもまた万能ではない。
速いぶん、間違いも速く広がる。
自由なぶん、無責任な声も混ざる。
誰でも発信できるぶん、誰でも誰かを傷つける側になれる。

テレビを疑うことは大切だと思う。
新聞を疑うことも大切だと思う。
でも同じくらい、ネットも疑ったほうがいい。

もっと言えば、自分が見たい情報だけを見ていないか。
自分が怒りたい方向に流されていないか。
自分が正義の側にいると思い込みすぎていないか。
そこも疑ったほうがいい。

ネットは便利だ。
情報も多い。
テレビでは見えない声が見えることもある。

だからこそ、怖い。

便利なものほど、知らないうちに頼りすぎてしまう。
自由な場所ほど、自分の弱さも出やすい。

オールドメディアを笑う前に、ネットを見ている自分の姿も少し見直したい。

本当に自分で考えているのか。
それとも、誰かの怒りを借りているだけなのか。

ネットの時代に必要なのは、情報をたくさん見ることだけではないのかもしれない。
少し立ち止まること。
すぐに信じないこと。
すぐに叩かないこと。

そして、正しさを探す前に、自分の中の気持ちよさを疑うこと。

オールドメディアを笑えないネットの怖さは、画面の向こうにあるだけではない。
たぶん、画面を見ている自分の中にもある。


ここまで読んでくれて、ありがとうございます

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