新聞を読む時間も、昔よりずっと減った。
ニュースはスマホに流れてくる。
誰かの意見も、事件の続報も、天気も、芸能ニュースも、全部小さな画面の中にある。
気づけば、テレビや新聞のような昔からあるメディアは、「オールドメディア」と呼ばれるようになっていた。
その言葉には、少し冷たい響きがある。
もう古い。
もう遅い。
もう必要ない。
そんなふうに言われているようにも聞こえる。
たしかに、ネットは速い。
何かが起きれば、数分後には誰かが投稿している。
現場の写真も、短い動画も、当事者の声も、すぐに流れてくる。
昔なら翌日の新聞や夜のニュースを待っていたことが、今はその場で知ることができる。
この速さを知ってしまうと、テレビや新聞が遅く感じるのも無理はない。
しかも、ネットにはたくさんの声がある。
有名な記者だけではなく、普通の人も発信できる。
専門家も、現場にいる人も、長年その問題を見てきた人も、自分の言葉で語れる。
それは、とても大きな変化だと思う。
情報を受け取るだけだった時代から、誰もが情報を出せる時代になった。
だからこそ、オールドメディアはいらないと言いたくなる気持ちもわかる。
一方で、ネットだけを見ていると、少し怖くなる時もある。
速い情報は、間違っていることもある。
感情の強い言葉ほど広がりやすい。
怒りや不安をあおる投稿ほど、目に入りやすい。
本当かどうかわからない話でも、何度も見ているうちに本当のように感じてしまう。
そのとき、必要なのは速さだけではないのかもしれない。
時間をかけて確認すること。
複数の人に取材すること。
間違いがあれば訂正すること。
誰が責任を持って伝えているのかが見えること。
そういう部分では、昔からあるメディアにも役割は残っていると思う。
もちろん、オールドメディアがすべて正しいわけではない。
偏りもある。
伝え方に違和感を覚えることもある。
大事なことを深く掘り下げていないと感じることもある。
だから、ただ信じればいい時代ではない。
テレビだから正しい。
新聞だから正しい。
ネットだから正しい。
たぶん、もうそういう見方では追いつかない。
これから必要なのは、どちらか一つを選ぶことではなく、いくつかの窓から同じ景色を見ることなのかもしれない。
ネットで速く知る。
テレビや新聞で整理された情報を見る。
専門家の話を読む。
現場の声も確認する。
そして最後に、自分で少し考える。
オールドメディアは、もう昔のような絶対的な存在ではない。
けれど、完全に不要になったとも思わない。
ネットの速さだけでは拾えないものがある。
テレビや新聞だけでは見えない声もある。
どちらかを切り捨てるより、うまく使い分けるほうが現実的なのだと思う。
時代は変わった。
情報の形も変わった。
でも、私たちが本当に欲しいものは、昔も今もあまり変わっていないのかもしれない。
ただ早い情報ではなく、ただ大きな声でもなく、少しでも本当のことに近づける情報。
オールドメディアが必要かどうか。
その答えは、メディアの側だけにあるのではなく、受け取る私たちの側にもあるような気がする。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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