2026年7月4日土曜日

オールドメディアを見なくなった日のこと


気づけば、テレビをつける時間が減っていた。

昔は朝起きたらテレビをつけて、夜になればニュース番組を流していた。
それが普通で、世の中のことはそこから入ってくるものだと思っていた。

けれど、ある日ふと気づいた。
最近、自分からテレビのニュースを見に行っていない。
新聞を読むこともほとんどなくなった。

何か大きな理由があったわけではない。
怒って見なくなったわけでも、全部が嫌いになったわけでもない。
ただ、少しずつ距離ができていた。

ニュースを知りたいときは、スマホを開く。
気になる言葉があれば検索する。
誰かの意見を読みたければ、SNSをのぞく。
動画で解説している人もいるし、公式の情報もすぐに見られる。

昔は、情報は向こうから流れてくるものだった。
今は、自分から拾いに行くものになった。

その変化は、便利でもある。
見たいものを見られる。
知りたいことをすぐに調べられる。
テレビの前で、興味のない話題を待つ必要もない。

でも、少し怖さもある。
自分の好きな情報ばかり見てしまう。
自分と似た考えの人ばかり読んでしまう。
気づかないうちに、世界が狭くなっているかもしれない。

オールドメディアを見なくなった日は、何かが終わった日ではなかった。
ただ、自分の情報の受け取り方が変わった日だった。

テレビや新聞が古いから悪い、ネットが新しいから正しい。
そんな単純な話ではないと思う。

テレビにはテレビの重さがある。
新聞には新聞の積み重ねがある。
ネットにはネットの速さがある。
SNSにはSNSの生の声がある。

大事なのは、どれか一つを信じ切ることではなく、どれも少し疑いながら見ることなのかもしれない。

オールドメディアを見なくなった日から、情報はもっと自由になった。
その代わり、自分で選ぶ責任も増えた。

画面の向こうから流れてくる言葉を、ただ受け取るだけではなくなった。
これは本当なのか。
誰が言っているのか。
何のために広がっているのか。

そう考える時間が、少しだけ増えた。

たぶん、これからもテレビをまったく見ないわけではない。
新聞やニュースサイトを見る日もある。
SNSで誰かの投稿に考えさせられる日もある。

けれど、昔のように一つの場所だけから世界を見ることは、もうできない気がする。

オールドメディアを見なくなった日のこと。
それは、情報から離れた日ではなく、情報との付き合い方を考え直した日だった。


ここまで読んでくれて、ありがとうございます

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