昔のネットには、名前も顔も知らないのに、なぜか少しだけ近く感じる人がいた。
本名も知らない。
どこに住んでいるのかも知らない。
何歳なのかも、本当はどんな声なのかも知らない。
それでも、画面の向こうに確かに誰かがいる気配だけはあった。
掲示板の短い書き込み。
ブログのコメント欄。
昔のSNSの一言。
チャットの何気ない返事。
今思えば、それはとても小さなつながりだった。
けれど、そのときの自分にとっては、少しだけ心を軽くしてくれる場所だった。
知らない誰かが、何気なく書いた言葉。
「わかる」
「それいいね」
「自分も同じです」
たったそれだけの言葉でも、ひとりで画面を見ていた夜には、不思議とあたたかく感じた。
今のネットは速い。
情報も多い。
言葉もすぐに流れていく。
誰かの投稿を見ても、次の瞬間には別の投稿が目に入る。
少し前に見たはずの言葉でさえ、もう探せないことがある。
昔のネットが特別にきれいだったわけではない。
嫌な言葉もあったし、変な空気になることもあった。
それでも、どこか今よりもゆっくりしていた気がする。
知らない誰かの書き込みを読んで、少し考える時間があった。
返事をするか迷う時間があった。
また同じ人が来るかもしれないと、なんとなく待つ時間があった。
ある日を境に、その人は来なくなった。
別に約束をしていたわけではない。
別れの言葉があったわけでもない。
ただ、更新が止まった。
コメントが消えた。
アカウントが動かなくなった。
ネットでは、こういう別れがとても静かに起こる。
現実の別れのように、駅で手を振ることもない。
最後の会話を覚悟することもない。
気づいたときには、もうそこにいない。
でも、ときどき思い出す。
あのときコメントをくれた人は、今もどこかで普通に暮らしているのだろうか。
昔よく見ていたブログを書いていた人は、もう別の場所で別の名前を使っているのだろうか。
あの短い言葉をくれた誰かは、自分のことなど少しも覚えていないのだろうか。
たぶん、覚えていない。
それでいいのだと思う。
ネットのつながりは、強いようで弱い。
残るようで、すぐに消える。
けれど、全部が消えてしまうわけではない。
名前も顔も知らない誰かの言葉が、何年も経ってからふと思い出されることがある。
もう探せないページの空気だけが、記憶の中に残っていることがある。
過去のネットでつながっていた知らない誰か。
それは友達と呼ぶには少し遠く、他人と呼ぶには少し近い存在だった。
今もネットのどこかでは、同じような小さな出会いが生まれているのかもしれない。
画面の向こうで、誰かが何気なく書いた一言に、別の誰かが少しだけ救われているのかもしれない。
そう考えると、ネットの世界も悪くないと思える。
つながりは消えても、言葉の温度だけは、どこかに残る。
知らない誰かと過ごした短い時間は、派手な思い出ではない。
けれど、静かな夜にふと思い出すくらいには、確かに自分の中に残っている。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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