夜、スマホの画面をぼんやり眺めながら、ふと思うことがある。「このインターネットという景色は、10年後もこのままなんだろうか」と。
検索窓に何かを打ち込んで、いくつものリンクの中から自分で選んで、クリックして――そんな当たり前だった動作が、もしかしたら過去のものになっているかもしれない。今、私たちが「ネットを使う」と言うとき、その中心にあるのはまだ「探す」という行為だ。でも10年後は、探す前に答えが差し出されている世界になっている気がする。
「検索する」から「尋ねる」への移り変わり
すでにその兆しは見えている。何かを知りたいとき、キーワードを並べる代わりに、まるで隣にいる誰かに話しかけるように質問する人が増えてきた。10年後には、この「尋ねる」という行為がもっと自然になっていて、画面の向こうにいるのが人間なのかAIなのか、あまり意識しなくなっているのかもしれない。それは便利である一方、少しだけ寂しさも連れてくるような気がする。効率がよくなるほど、偶然の出会いや、遠回りして見つけた面白さが減っていくような感覚だ。
個人が発信する意味は変わるのか
ブログやSNSで「自分の言葉」を発信するという行為も、この10年でずいぶん形を変えてきた。文章、写真、短い動画――発信の手段は増える一方で、AIが記事や動画を一瞬で作れる時代になったとき、「人間が書いた」という価値はどこに残るのだろうか。
個人的には、情報の正確さや速さでは、いずれ人間はAIに敵わなくなる部分が出てくると思っている。だからこそ10年後に残っていく発信は、「誰が」「どんな経験をもとに」語っているかという部分なんじゃないかと感じる。同じ景色を見ても、感じ方は人それぞれ違う。その「違い」こそが、AIには簡単に真似できないものだと思う。
つながり方はもっと静かになるかもしれない
SNSで毎日誰かの近況を追いかけ、通知に追われる生活。今はそれが当たり前になっているけれど、10年後は少し違う形になっている気がしている。四六時中つながっているのではなく、必要なときだけそっとつながる。そんな「静かなつながり方」を選ぶ人が増えていくのではないだろうか。便利さを追い求めた先に、あえて距離を取る心地よさに気づく人が増えていく。そんな未来も悪くないと思う。
変わらないものもきっとある
技術がどれだけ進化しても、誰かと言葉を交わしたい、何かを分かち合いたいという気持ちそのものは、たぶん10年後も変わらない。インターネットという道具の形は大きく変わっていくとしても、その道具を使う私たちの根っこの部分は、意外と今とそう変わらないんじゃないかと思う。
10年後、この記事を読み返したとき、「懐かしいな」と笑えるくらいの変化なのか、それとも「こんなことを考えていたのか」と驚くほどの変化なのか――今はまだ誰にもわからない。だからこそ、今日という日にこうして自分の言葉で残しておくことに、少しだけ意味があるのかもしれない。
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