朝起きてまずスマホを開く。通知を確認し、SNSのタイムラインを流し見て、天気予報をチェックする。この一連の動作に、もう「ネットの世界に入る」という意識はほとんど残っていない。かつては「オンライン」と「オフライン」という言葉があった。ネットに接続している状態とそうでない状態を、はっきり区別できた時代の名残だ。しかし今、その境界線を意識する瞬間はどれくらいあるだろうか。
電車の中で友人とメッセージのやり取りをしながら、目の前の景色を眺める。誰かと対面で話しているときも、片手はスマホを握っている。ネットの中の会話と、現実の会話が、同じ時間の中で並行して進んでいく。これはもう「ネットに繋がっている」のではなく、「ネットの中で生きている」に近い感覚なのかもしれない。
買い物の仕方も変わった。実店舗で商品を手に取りながら、その場でレビューを検索し、価格を比較する。店員と話す前に、すでにネット上の情報で判断は済んでいることも多い。逆に、ネットで見た商品を確かめるために店舗へ足を運ぶこともある。どちらが「本物」の体験なのか、もはや線引きする意味がなくなってきている。
人間関係もそうだ。会ったことのない相手とオンラインで何年も交流を続け、気づけば現実の友人よりも深く understanding し合っていることがある。逆に、リアルで会っている相手のことは、SNSのプロフィールを通してしか本当の近況を知らなかったりする。「リアルな関係」と「ネット上の関係」を分けて考えること自体が、もう実態に合っていないのではないか。
仮想空間で開催されるイベントに、現実の会場さながらの熱量で人が集まる。アバターを通して交わされる言葉に、本物の感情が乗る。逆に、現実の空間にもデジタルの情報が重なるようになった。スマホをかざせば、目の前の建物の情報が浮かび上がる。景色そのものが、すでに半分デジタルでできている。
こうした変化は、突然訪れたわけではない。毎日ほんの少しずつ、リアルとネットの間にあった段差が削られていった結果、気づけば境目がどこにあったのかも思い出せなくなっている。もしかしたら「境界がなくなる日」というのは、これから訪れる未来の話ではなく、すでに静かに過ぎ去ってしまった、名前のつけられない日のことなのかもしれない。
これからの時代を生きる上で大切なのは、境界を無理に引き直すことではなく、境界がない状態でどう心地よく過ごすかを考えることなのだろう。ネットの中にも、リアルと同じだけの誠実さを。リアルの中にも、ネットで培った柔軟さを。その両方を自然に行き来できることこそが、これからの「生きやすさ」の形になっていくのかもしれない。
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