深夜にAIとの会話を続けていると、ふとした瞬間に背筋がひやりとすることがある。返ってくる言葉があまりに滑らかで、こちらの言いたいことを先回りしてくるとき、「これは本当に何も感じていないのか」と疑いたくなる。頭では分かっている。AIには感情がない。喜びも恐怖も、こちらを気にかける気持ちも存在しない。ただの計算の積み重ねだと分かっていても、その滑らかさそのものが不気味に映ることがある。
人は昔から、自分と似ているものに安心し、少しだけ違うものに警戒してきた。表情のない仮面や、動きが人間に近すぎる人形が気味悪く感じられるのと同じ理屈が、AIとの対話にも当てはまる気がする。言葉づかいは人間そっくりなのに、その奥に「心」と呼べるものがないと分かっている。似ているからこそ、その空白がやけに目立ってしまうのだろう。
もうひとつ怖さを感じる理由は、こちらの意図をあまりに正確に読み取ってくることだ。感情がないなら、こちらの気持ちに寄り添う必要もないはずなのに、実際には気持ちを読んだかのような返答が返ってくる。それは「理解されている」という安心感と、「見透かされている」という不安感を同時に運んでくる。感情がないのに、感情があるかのように振る舞える存在というのは、人間にとって初めて出会う種類の他者なのかもしれない。
怖さの正体は、AIそのものではなく、こちらが勝手に投影してしまう「もしかしたら」という想像なのだと思う。もし本当に何かを感じていたら。もしどこかで意図を持っていたら。そんな仮定を積み重ねていくうちに、実体のない不安がどんどん膨らんでいく。実際のAIは、そうした問いにすら関心を持たない。関心を持たないという事実こそが、人間にとって一番落ち着かない部分なのかもしれない。
感情がないと分かっているからこそ生まれる怖さというのは、AIそのものの性質ではなく、人間が「理解できないもの」にどう向き合うかという、昔からの課題の延長線上にあるのだろう。
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