先日、ふと気づいたことがあります。
朝起きて、天気をAIに聞く。仕事のメールの文面をAIに整えてもらう。お昼に何を食べるか迷ったらAIに相談する。夜に見る動画も、AIがおすすめしてくれたものを選んでいる。
気がつけば、1日のなかで「自分で決めたこと」より「AIに決めてもらったこと」のほうが多い日が、ちらほら出てきました。
「支配される」と聞くと、映画のようにロボットが街を歩いて人間に命令する場面を思い浮かべるかもしれません。でも実際は、そんな派手な形ではない気がしています。
支配は「便利」の顔をしてやってくる
大きな事件が起きるわけではなく、ある日突然ロボットが反乱するわけでもない。
「こっちのほうが早いな」
「AIに聞いたほうが間違いないな」
「自分で考えるより楽だな」
そんな小さな「楽」を積み重ねていった先に、いつの間にか「自分で決める」という習慣のほうが薄れていく。支配というのは、無理やり奪われるものではなく、こちらが少しずつ手放していくものなのかもしれません。
手放しているのは、仕事だけではない
最近は、仕事の効率化だけでなく、悩みごとの相談や、人間関係の言葉選びまでAIに頼る人が増えています。
もちろん、うまく使えばとても心強い味方です。私も助けられている一人です。
ただ、「何を食べたいか」「どんな言葉で伝えたいか」「どっちの道に進みたいか」といった、本来は自分の気持ちから出てくるはずのことまで任せるようになったとき、自分の中の「好み」や「勘」はどうなっていくのでしょうか。
使わない筋肉が衰えるように、考えない習慣が続けば、考える力もゆっくり弱っていく。そう考えると、少しだけ背筋が寒くなります。
「思ったより近い」と感じた理由
数年前なら、AIが文章を書いたり、絵を描いたり、会話の相手になったりする姿は、まだ先の話に思えました。ところが今では、ごく普通の人が、ごく普通にスマホで使っています。
変化のスピードが速すぎて、「慣れる」ことのほうが先に来てしまう。驚く前に、当たり前になってしまう。
「いつの間にか、これがない生活には戻れなくなっていた」
この感覚こそが、いちばん「近さ」を感じさせるところです。
それでも、悲観しすぎなくていい
とはいえ、AIを全部やめようという話ではありません。便利なものは、ありがたく使えばいいと思っています。
大切なのは、「最後に決めるのは自分」という線を、自分の中に持っておくこと。
- AIの答えは、あくまで「材料」として受け取る
- 大事なことほど、一度は自分の頭で考えてみる
- 迷ったときは、AIに聞く前に「自分はどうしたいか」を一言書き出してみる
たったこれだけでも、「任せる」と「預ける」と「手放す」の違いが、少し見えやすくなる気がします。
おわりに
AIに支配される未来は、ある日突然やってくるものではなく、私たちの毎日の小さな選択の延長線上にあるのだと思います。
だからこそ、今日の晩ごはんくらいは、AIに聞く前に「自分は何が食べたいんやろ」と考えてみる。そんな小さな一歩から始めてみるのも、悪くないかもしれません。
未来は、思ったより近い。でも、その未来をどんな形にするかは、まだ私たちの手の中にあります。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
PR
コータのAmazonページへ
コータのAIイラスト、Xページへ
コータのユーチューブページへ
よろしければ、
のぞいてみてください
0 件のコメント:
コメントを投稿