先日、SNSを眺めていて、ふと手が止まりました。
流れてきたのは、有名人が何かを語っている動画。表情も声の調子も自然で、「へえ、この人こんなこと言うんやな」と思って見ていたんです。ところがコメント欄を開くと、「これAIで作られた偽物ですよ」の一言。
正直、全然わかりませんでした。
「見ればわかる」が通用しなくなった
少し前までは、フェイクには「それっぽい違和感」がありました。
- 画像なら、指の数がおかしい
- 文章なら、日本語が不自然
- 声なら、ロボットっぽい抑揚
「ちょっと変やな」と思えたので、こっちにも身を守る余地があったんですよね。
でも今は、その違和感がほとんど消えました。画像も文章も音声も動画も、プロでも見分けるのに苦労するレベルになっています。
僕らの「なんとなく本物っぽい」という感覚は、昔から目や耳で積み上げてきたものです。それがAIには通用しない時代に入ったんやなと、肌で感じました。
困るのは「騙される」ことだけじゃない
フェイクの怖さというと、「偽物を信じてしまうこと」がまず浮かびます。でも、もう一つ厄介な問題があると思っています。
本物まで疑われるようになること。
たとえば、本当に撮られた証拠の映像があっても、「どうせAIやろ」の一言で片づけられてしまう。本物が、本物として扱われなくなる。
偽物が増えるほど、本物の価値が揺らぐ。これは結構しんどい話です。
作る側のハードルも、もう無い
もうひとつ変わったのは、作る側です。
昔は、精巧な偽物を作るには技術も時間もお金も必要でした。今はスマホひとつで、誰でも数分でそれっぽいものが作れます。
もちろん、AIは悪いことのためだけにあるわけじゃありません。
- 絵が描けない人が、イメージを形にできる
- 文章が苦手な人が、考えを整理できる
- 声を失った人が、自分の声を取り戻せる
こうした素晴らしい使い方もたくさんあります。同じ技術が、人を助けることにも、人を騙すことにも使える。道具としてはニュートラルなぶん、使う人次第という部分が大きいんですよね。
これから、僕らにできること
じゃあ、どうすればええのか。完璧な答えはないですが、自分なりに意識していることを書いてみます。
1. 感情が大きく動いた時ほど、一呼吸おく
「ええっ!」「許せへん!」と思った情報ほど、拡散される前提で作られていることが多いです。シェアボタンを押す前に、ひと呼吸。
2. 出どころを見る
誰が最初に出した情報なのか。複数の信頼できる場所で確認できるか。地味ですが、一番効きます。
3. 「わからない」を認める
本物か偽物か判断できない時は、無理に決めつけず、「わからん」で止めておく。これも立派な判断です。
4. 自分が発信する側の責任を持つ
AIで作ったものは、AIで作ったと分かるようにする。小さなことですが、境界を守る一歩になると思っています。
おわりに
フェイクとリアルの境界は、これからもっと曖昧になっていくと思います。「見分ける力」だけで戦うのは、そのうち限界が来るかもしれません。
だからこそ、何を信じるかではなく、誰を、どこを信頼するかが大事になってくるんちゃうかなと思っています。
便利さと怖さが同居する時代ですが、怖がりすぎず、でも無防備にもならず。このくらいの距離感で、AIと付き合っていけたらなと思います。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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