ブログのタイトルを考えるとき、最近つい、AIに聞いてしまう。
「この記事に合うタイトルを10個出して」
そう打ち込むと、数秒で10個並ぶ。しかも、どれもそれなりによくできている。数字が入っていたり、疑問形だったり、ちょっと気になる言い回しだったり。「あ、これでええやん」と思って、そのままコピーして貼り付ける。
便利です。ほんまに便利。
でも先日、ふと手が止まりました。
このタイトル、私が考えたんやったっけ?
「ええ感じのタイトル」は、誰のものか
AIが出してくれるタイトルは、たいてい「ええ感じ」です。
ただ、「ええ感じ」というのは、言い換えると「みんなが好きそうな感じ」でもあります。多くの文章を学んだAIが出す答えは、どうしても平均点の高いところに寄ってくる。外れない。でも、刺さりきらない。
それに気づいたのは、過去の自分のブログを読み返していたときでした。
数年前、まだ手探りで書いていたころの記事。タイトルは今見るとちょっと不格好で、言葉の選び方もぎこちない。それなのに、なぜか読んでみたくなる。「この人、こういうことが気になって、こんな言葉で表現したかったんやな」というのが、タイトルから伝わってくるんです。
不格好やけど、そこには私がいた。
タイトルを考える時間は、記事の中身を考える時間だった
もうひとつ、思い出したことがあります。
昔は、タイトルが決まらないまま、ずっと唸っていました。お風呂の中でも、歩きながらでも、寝る前でも。
「この記事で、結局いちばん言いたいことって何やろ」
「読んだ人に、どんな気持ちで帰ってほしいんやろ」
そうやって考えているうちに、本文の足りないところに気づいて、書き直したことが何度もあります。タイトルが決まった瞬間に、記事全体の背骨がスッと通る感じ。あれは、ちょっと気持ちよかった。
AIにタイトルを任せると、この時間がごっそり消えます。
早くなる。楽になる。けれど、「自分は何を伝えたいのか」を問い直す時間まで、一緒に手放しているのかもしれません。
失っていくのは、能力というより「手触り」
誤解のないように言うと、私はAIを使うのが悪いとは思っていません。むしろ、使い方次第でかなり頼れる相棒です。
アイデアが煮詰まったとき。
自分では思いつかない切り口がほしいとき。
候補を並べて、比べたいとき。
そういう場面では、本当に助かります。
ただ、「考える前に聞く」が習慣になると、少しずつ変わっていく気がするんです。
- 自分の言葉を探す前に、答えを見てしまう
- 悩む前に、選ぶだけになる
- 「しっくりこない」という感覚を、ゆっくり味わわなくなる
失うのは、文章力そのものというより、言葉を自分の手でこねている感覚のほうなんかもしれません。
私なりの付き合い方
そこで、最近はこんなふうにしています。
まず、AIに聞く前に、自分でタイトルを3つ書く。下手でもいい、長くてもいい。とにかく先に自分の案を出す。
そのあとで、AIに聞いてみる。すると、自分の案との違いがよく見えます。
「あ、自分はこっちの言い回しが好きなんや」
「AIの案は整ってるけど、私の案のほうが言いたいことに近いな」
そうやって、AIの案を「答え」ではなく「比べるための鏡」として使うと、自分の好みや癖が、かえってはっきりしてきます。
最終的に選ぶのは、自分。
ちょっと直すのも、自分。
そこだけは、手放さんとこうと思っています。
最後に
タイトルは、記事の顔です。
その顔を、毎回AIに描いてもらっていたら、いつの間にか「自分の顔」がわからなくなってしまうかもしれません。
便利さは、ありがたく受け取る。
でも、迷う時間、悩む時間、言葉を探す時間までは、全部は渡さない。
そんなふうに、AIと並んで歩いていけたらええなと思っています。
あなたは、最後にタイトルを自分で悩んだのは、いつですか?
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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