ふと気づいたことがあります。
SNSの自分、仕事用のアカウントの自分、匿名で趣味を語っている自分、そして誰にも見せずに検索窓にだけ本音を打ち込んでいる自分。同じ人間のはずなのに、どれも少しずつ違う顔をしているんですよね。
「ネットの中の自分は偽物で、現実の自分こそが本物だ」とよく言われます。でも、本当にそうなのでしょうか。
「盛っている自分」は嘘なのか
投稿するときに、少しだけ良く見せようとしたことは誰にでもあると思います。写真を選ぶとき、言葉を整えるとき、ちょっといい風に見える角度を探すとき。
それを「嘘」と呼ぶのは、ちょっと厳しい気がします。
私たちは現実の世界でも、会社では会社の顔、家族の前では家族の顔、友達の前では友達の顔を自然に使い分けています。ネットでも同じことが起きているだけで、場所が違えば見せる自分が変わるのは、人として普通のことなのかもしれません。
「盛っている自分」は偽物ではなく、「こう見られたい」という願いが形になった自分。そう考えると、少し見え方が変わってきます。
匿名のときほど本音が出る不思議
面白いのは、名前を出さないほうが正直になれることがある点です。
現実では言えない愚痴、誰にも話せない悩み、ちょっとマニアックな好きなもの。顔も名前も知られていない場所だからこそ、ぽろっと出てくる言葉があります。
だとすると、匿名の自分こそが「本当の自分」なのでしょうか。
でも、それも少し違う気がします。匿名だと気が大きくなって、普段なら絶対に言わない強い言葉を使ってしまう人もいます。それもまた本当の自分の一部だけれど、「これが全部です」とは言いにくい。
結局、どの自分も本物で、どの自分も全部ではない、というのが近い答えなのかもしれません。
「本当の自分」は一か所にいない
ここまで考えて、思うことがあります。
「本当の自分」はどこか一か所に隠れていて、それを探し出せば見つかるもの、というイメージがそもそも違うのかもしれません。
現実の自分、SNSの自分、匿名の自分。それぞれが集まって、ようやく一人の人間の輪郭になる。本当の自分とは、「見つけるもの」ではなく、いろんな場所での振る舞いを重ねた結果として「にじみ出てくるもの」なのだと思います。
迷ったときの小さな目安
では、ネットで自分を見失いそうになったときはどうすればいいのか。私は、次のような問いかけを目安にしています。
- この投稿を、数年後の自分が見ても恥ずかしくないか
- 目の前に相手がいても、同じ言葉を言えるか
- 「いいね」の数を気にしすぎて、書きたいことが変わっていないか
この3つに「大丈夫」と答えられるなら、どの顔で書いていても、きっとそれは自分らしさの範囲内です。
まとめ
ネットの中の自分は、偽物でも分身でもなく、自分の一側面です。
どれか一つを「本当」と決めてしまうより、それぞれの場所で見せている顔を、全部自分の一部として受け入れるほうが、気持ちが楽になります。
「本当の自分」は、探しに行く場所にいるのではなく、あなたが画面の前で何を選び、何を書き、誰とどう関わっているか、その積み重ねの中にいるのだと思います。
今日もどこかの画面の前で、いろんな顔を持ったあなたが、ちゃんとあなたとして存在しています。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
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