2026年7月7日火曜日

オールドメディアが遠くなった日

昔は、テレビをつけることが当たり前だった。

朝起きたらニュース番組が流れていて、夜になれば決まった時間に報道番組を見る。

新聞を読んでいる家族がいて、雑誌の発売日を楽しみにしていた人もいた。

情報というものは、向こうから順番に届けられるものだった。

けれど、いつの間にかその距離が少しずつ遠くなっていった。


今はスマホを開けば、ニュースも、動画も、誰かの意見も、すぐに流れてくる。

テレビの前に座らなくても、新聞を広げなくても、世の中で起きていることを知ることはできる。

それどころか、テレビより先にSNSで話題を知ることも増えた。

速報も、現場の声も、感想も、疑問も、全部が同じ画面の中に並んでいる。

便利になったと言えば、たしかに便利になった。

でもその分、オールドメディアとの距離は確実に変わった気がする。


昔のテレビや新聞には、世の中をまとめて見せてくれる力があった。

今日、何が大きな出来事だったのか。

どの話題を知っておくべきなのか。

そういうものを、ある程度整理して届けてくれていた。

もちろん、それが全部正しかったわけではない。

見えない部分もあったし、偏りを感じることもあった。

それでも、多くの人が同じニュースを見て、同じ話題について考える時間があった。


今は、それぞれが別々の画面を見ている。

同じ一日を過ごしていても、見ているニュースも、信じている情報も、怒っている話題も違う。

誰かにとって大事件でも、別の誰かの画面には一度も流れてこない。

情報が自由になったぶん、共通の景色は少し薄くなったのかもしれない。


オールドメディアが遠くなった理由は、ただ古くなったからではないと思う。

視聴者や読者のほうが、待つことに慣れなくなった。

決まった時間まで待つより、今すぐ検索したい。

一つの番組を見るより、短い動画をいくつも見たい。

長い記事を読むより、まず誰かの要約や反応を見たい。

そういう生活の変化が、少しずつメディアとの距離を変えていった。


ただ、遠くなったからといって、完全にいらなくなったわけでもない。

大きな災害が起きたとき。

選挙や事件のように確認が必要なとき。

ネット上で情報が混乱しているとき。

やはり、取材して確認し、形にして届ける役割はまだ残っている。

ネットの速さだけでは拾えないものもある。

現場に行き、人に話を聞き、時間をかけて調べる仕事には、今でも意味がある。


それでも、昔のように「テレビが言っているから」「新聞に載っているから」だけで信じる時代ではなくなった。

受け取る側も、比べたり、疑ったり、自分で考えたりするようになった。

これは良いことでもあり、少し疲れることでもある。

情報を選べる自由はある。

でも、選び続ける負担もある。


オールドメディアが遠くなった日は、ある日突然やってきたわけではない。

気づけばテレビをつける時間が減っていた。

気づけば新聞よりスマホを見る時間が長くなっていた。

気づけばニュース番組より、SNSの反応を先に見ていた。

そんな小さな変化の積み重ねだったのだと思う。


これから先、オールドメディアは昔のような絶対的な存在には戻らないかもしれない。

でも、ネットの中にすべてがあるように見える時代だからこそ、落ち着いて確認された情報の価値は残る。

大切なのは、古いか新しいかだけで分けることではない。

その情報がどこから来て、誰が伝えていて、何が抜けているのか。

そこを見ることなのだと思う。


オールドメディアが遠くなった日。

それは、テレビや新聞が終わった日ではなく、私たちが情報との付き合い方を変え始めた日なのかもしれない。

そして今も、その変化の途中にいる。


ここまで読んでくれて、ありがとうございます

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