2026年7月11日土曜日

Xをやめられないのは、たぶん寂しさもある

特に見たいものがあるわけでもないのに、気がつくとXを開いている。

新しい通知が届いているか確認し、タイムラインを少しだけ眺める。

少しだけのつもりだったのに、指は次々と画面を動かしていく。

面白い投稿が流れてくることもあれば、腹が立つ言葉を見つけることもある。

誰かの成功を見て焦り、知らない人の悩みに共感し、どうでもいい話題に時間を使う。

それでも、なかなか画面を閉じることができない。

情報を集めたいからだと思っていた。

世の中の流れに遅れたくないから、ブログの宣伝をしたいから、誰かに投稿を見てもらいたいから。

もちろん、それも理由のひとつなのだと思う。

けれど、もっと奥には別の気持ちがある。

たぶん、少し寂しいのだ。

タイムラインを開けば、いつでも誰かが話している。

朝でも夜でも、眠れない時間でも、誰かの言葉が流れてくる。

自分に向けられた言葉ではなくても、人の気配を感じることができる。

静かな部屋で一人になっても、画面の中には大勢の人がいる。

そのにぎやかさに触れている間だけは、完全に一人ではないような気がする。

投稿をすると、誰かが反応してくれることがある。

いいねがひとつ付くだけでも、自分の言葉が誰かのところまで届いたことが分かる。

返信がなくても、表示された回数を見て安心することもある。

ここに自分がいることを、数字が代わりに教えてくれる。

けれど、その安心は長く続かない。

反応が少なければ、何度も画面を更新してしまう。

他の人の投稿ばかり伸びていると、自分だけが取り残されたように感じる。

寂しさを埋めるために開いたはずなのに、閉じるころには前より寂しくなっている日もある。

それでも、また開いてしまう。

次は誰かが反応してくれるかもしれない。

次は心が軽くなる言葉に出会えるかもしれない。

そんな小さな期待が、指を画面へ向かわせる。

Xをやめられない自分を、意志が弱いと責める必要はないのかもしれない。

ただ、人の気配が欲しいだけなのかもしれない。

誰かとつながっていると感じたいだけなのかもしれない。

だから、無理にすべてをやめなくてもいい。

ただ、ときどき画面から目を離して、自分が何を求めて開いたのかを考えてみる。

情報が欲しかったのか。

反応が欲しかったのか。

それとも、ただ寂しかったのか。

理由が分かるだけでも、少しだけ距離を取れるようになる。

Xの中にいる誰かの言葉ではなく、窓の外の音や、温かい飲み物や、近くにいる人との短い会話で埋まる寂しさもある。

画面を閉じたあとに残る静けさは、最初は少し落ち着かない。

けれど、その静けさの中には、自分の気持ちを確かめる時間も残されている。

Xを開きたくなった夜、すぐに指を動かさず、ほんの少しだけ立ち止まってみる。

その数秒が、自分の寂しさに気づくための時間になるのかもしれない。


ここまで読んでくれて、ありがとうございます

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