新しい通知が届いているか確認し、タイムラインを少しだけ眺める。
少しだけのつもりだったのに、指は次々と画面を動かしていく。
面白い投稿が流れてくることもあれば、腹が立つ言葉を見つけることもある。
誰かの成功を見て焦り、知らない人の悩みに共感し、どうでもいい話題に時間を使う。
それでも、なかなか画面を閉じることができない。
情報を集めたいからだと思っていた。
世の中の流れに遅れたくないから、ブログの宣伝をしたいから、誰かに投稿を見てもらいたいから。
もちろん、それも理由のひとつなのだと思う。
けれど、もっと奥には別の気持ちがある。
たぶん、少し寂しいのだ。
タイムラインを開けば、いつでも誰かが話している。
朝でも夜でも、眠れない時間でも、誰かの言葉が流れてくる。
自分に向けられた言葉ではなくても、人の気配を感じることができる。
静かな部屋で一人になっても、画面の中には大勢の人がいる。
そのにぎやかさに触れている間だけは、完全に一人ではないような気がする。
投稿をすると、誰かが反応してくれることがある。
いいねがひとつ付くだけでも、自分の言葉が誰かのところまで届いたことが分かる。
返信がなくても、表示された回数を見て安心することもある。
ここに自分がいることを、数字が代わりに教えてくれる。
けれど、その安心は長く続かない。
反応が少なければ、何度も画面を更新してしまう。
他の人の投稿ばかり伸びていると、自分だけが取り残されたように感じる。
寂しさを埋めるために開いたはずなのに、閉じるころには前より寂しくなっている日もある。
それでも、また開いてしまう。
次は誰かが反応してくれるかもしれない。
次は心が軽くなる言葉に出会えるかもしれない。
そんな小さな期待が、指を画面へ向かわせる。
Xをやめられない自分を、意志が弱いと責める必要はないのかもしれない。
ただ、人の気配が欲しいだけなのかもしれない。
誰かとつながっていると感じたいだけなのかもしれない。
だから、無理にすべてをやめなくてもいい。
ただ、ときどき画面から目を離して、自分が何を求めて開いたのかを考えてみる。
情報が欲しかったのか。
反応が欲しかったのか。
それとも、ただ寂しかったのか。
理由が分かるだけでも、少しだけ距離を取れるようになる。
Xの中にいる誰かの言葉ではなく、窓の外の音や、温かい飲み物や、近くにいる人との短い会話で埋まる寂しさもある。
画面を閉じたあとに残る静けさは、最初は少し落ち着かない。
けれど、その静けさの中には、自分の気持ちを確かめる時間も残されている。
Xを開きたくなった夜、すぐに指を動かさず、ほんの少しだけ立ち止まってみる。
その数秒が、自分の寂しさに気づくための時間になるのかもしれない。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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