そこに「1」という数字がついていると、それだけで少しうれしくなる。
何百いいねも集まったわけではない。
話題になったわけでも、たくさんの人に知られたわけでもない。
それでも、その1いいねには数字以上のものがあるように感じる。
投稿ボタンを押した瞬間は、誰にも見てもらえないかもしれないと思っている。
タイムラインには、次から次へと新しい投稿が流れていく。
自分の言葉や画像も、その中に混ざって、すぐに見えなくなってしまう。
そんな流れの中で、誰かが一度立ち止まってくれた。
内容を見て、いいと思い、わざわざボタンを押してくれた。
その小さな行動が、投稿した側には思ったより大きく届く。
1いいねは、誰か一人がそこにいたという印でもある。
画面の向こうにいる知らない誰かが、自分の投稿を見つけてくれた。
たったそれだけのことなのに、完全な独り言ではなくなったような気がする。
数字が大きくなると、つい反応の数ばかりを見てしまう。
昨日より少ない。
ほかの人より伸びていない。
そんなことを考え始めると、投稿すること自体が疲れてしまう。
けれど、最初の1いいねを思い出すと、少し見え方が変わる。
1万人に届かなくても、一人には届いた。
その一人が少し笑ったり、共感したり、きれいだと思ったりしたのかもしれない。
それなら、その投稿にはちゃんと意味があったのだと思える。
Xでは、大きな数字が目立つ。
何万回も見られた投稿や、何千いいねも集めた投稿が次々と流れてくる。
それを見ていると、1いいねがとても小さく感じることもある。
しかし、自分が誰かの投稿にいいねを押すときのことを考えると、その価値が分かる。
何も感じなければ、そのまま通り過ぎる。
少しでも心が動いたから、指を止めてボタンを押す。
つまり1いいねは、誰かの心がほんの少し動いた結果なのだ。
投稿を続けていると、反応がない日もある。
何を投稿しても伸びず、誰にも見られていないように感じる日もある。
そんな日に届く1いいねは、「見ています」と言われたようで、静かに励みになる。
大きな拍手ではない。
遠くから聞こえる、小さな拍手のようなものかもしれない。
それでも、その音があるだけで、もう一度投稿してみようと思える。
Xの1いいねが思ったよりうれしいのは、それがただの数字ではないからだ。
自分の投稿を見つけ、何かを感じてくれた一人がいる。
そのことを忘れなければ、小さな反応も大切に受け取れる。
今日ついた1いいねも、画面の向こうから届いた小さな返事なのかもしれない。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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