朝、目を覚ますと、まだ顔も洗わないうちにネットの光が目に入る。
誰かの言葉。
誰かの写真。
誰かの怒り。
誰かの笑い。
画面の中では、今日も世界が休まず流れている。
昔のネットは、少し遠い場所にあるもうひとつの部屋のようだった。
そこへ行くには、パソコンの前に座り、回線をつなぎ、少しだけ待つ時間があった。
けれど今のネットは、待たない。
こちらが呼ばなくても、ポケットの中で鳴り、机の上で光り、眠る前の暗い部屋にまで入り込んでくる。
便利になった。
それは間違いない。
知りたいことはすぐに調べられる。
遠くの人とも話せる。
見たことのない景色も、会ったことのない人の暮らしも、指先ひとつでのぞくことができる。
それでも時々、ふと思う。
自分はネットを使っているのか。
それとも、ネットの流れに使われているのか。
未来のネットは、もっと自然に人間の暮らしへ溶け込んでいくのだと思う。
画面を見ることさえ減り、声や視線や仕草だけで情報が届くようになるかもしれない。
欲しいものを考えた瞬間に、おすすめが並ぶ。
迷った瞬間に、答えの候補が出る。
寂しい夜には、やさしい言葉が届く。
それはきっと、今よりもずっと便利で、今よりもずっと静かな世界だ。
けれど、便利さが人間らしさを全部包んでしまったら、少し怖い。
迷うこと。
遠回りすること。
失敗して覚えること。
誰にも見せないまま、心の中で言葉を寝かせること。
そういう不便な時間の中に、人間らしさは残っている気がする。
ネットは答えを早くする。
でも、人の気持ちは早くならない。
うれしいことを受け止めるにも、悲しいことを飲み込むにも、本当は時間がいる。
すぐに反応しなくてもいい。
すぐに正解を出さなくてもいい。
すぐに誰かと比べなくてもいい。
未来のネットがどれだけ進んでも、人間はたぶん、夕方の空を見て立ち止まる。
誰かの何気ない一言に救われる。
古い写真を見て、少しだけ胸が痛くなる。
何も投稿しない日にも、ちゃんと一日は過ぎていく。
ネットの未来は、速さの未来でもある。
でも、人間らしさのゆくえは、速さだけでは決まらない。
どれだけ情報が増えても、自分の心まで流されないこと。
どれだけ便利になっても、目の前の人の声をちゃんと聞くこと。
どれだけ世界とつながっても、ひとりで静かに考える時間を失わないこと。
未来のネットは、きっと今より大きくなる。
けれど人間らしさは、たぶん小さな場所に残る。
朝の一杯のお茶。
返事を少し迷う時間。
誰にも見せないメモ。
画面を閉じたあとの静けさ。
その小さなものを手放さずにいられるなら、未来のネットは敵ではない。
人間が人間のまま、少し遠くまで歩いていくための道具になる。
画面の向こうに未来があるとしても、最後にその未来を選ぶのは、こちら側にいる人間なのだと思う。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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