気づけば、スマホを見ている。
朝起きてすぐ、まだ頭がぼんやりしているのに、指だけが先に動いている。
天気を見るつもりだった。
時間を確認するだけだった。
それなのに、気づけばニュースを見て、通知を見て、誰かの投稿を眺めている。
スマホは便利だ。
調べたいことはすぐに出てくる。
道に迷えば地図がある。
寂しいときは誰かの言葉が流れてくる。
暇な時間も、ほんの数秒で埋めてくれる。
けれど、その便利さの中で、少しずつ疲れていることがある。
大きな疲れではない。
寝込むほどでもない。
誰かに相談するほどでもない。
ただ、心の奥に小さな砂のようなものがたまっていく。
通知の音が鳴るたびに、少しだけ意識が引っ張られる。
返信しなければいけない気がする。
見ておかなければいけない気がする。
知らないままでいると、どこか置いていかれるような気がする。
本当は、すぐに見なくてもいいことばかりなのに。
誰かの楽しそうな写真を見る。
誰かの成功した話を見る。
誰かのきれいな言葉を見る。
それだけならいいはずなのに、なぜか自分の一日と比べてしまう。
自分は何もしていないように感じる。
自分だけ止まっているように感じる。
普通に過ごしていただけの日が、少しだけ物足りないものに見えてしまう。
スマホの画面は明るい。
でも、見続けていると、心のほうが少し暗くなる日もある。
それは、スマホが悪いという話ではない。
スマホは道具だ。
使い方次第で、助けにもなるし、疲れの原因にもなる。
たぶん、疲れるのは、休んでいるつもりで休めていないからだと思う。
ベッドに寝転びながらスマホを見る。
ソファに座ってスマホを見る。
電車の中でも、待ち時間でも、少しの隙間があれば画面を見る。
体は止まっている。
でも、心はずっと走っている。
情報を読んで、比べて、反応して、考えて、また次を見る。
何もしていないようで、頭の中だけはずっと忙しい。
小さな疲れは、そういうところから来るのかもしれない。
たまには、スマホを机の上に置いたままにしてみる。
窓の外を見る。
お茶を飲む。
部屋の音を聞く。
何も流れてこない時間に、少しだけ身を置いてみる。
最初は落ち着かない。
何か見逃しているような気がする。
けれど、しばらくすると、自分の呼吸の速さに気づく。
肩に力が入っていたことに気づく。
頭の中が、思ったより散らかっていたことに気づく。
スマホがある時代に、完全に離れるのは難しい。
無理に捨てる必要もない。
ただ、少しだけ距離を置く時間はあってもいい。
見たいときに見る。
必要なときに使う。
でも、疲れたときは閉じる。
それだけで、心の中に小さな余白が戻ってくる。
スマホの画面の外にも、一日はちゃんと流れている。
窓の光も、部屋の静けさも、風の音も、誰かと何も考えずに話す時間もある。
便利な時代だからこそ、何もしない時間は少し贅沢なのかもしれない。
今日もスマホはそばにある。
きっと明日も使う。
それでも、ときどき画面を閉じて、自分の心が疲れていないか聞いてみたい。
小さな疲れに気づけることも、今の時代をうまく歩くために大切なことなのだと思う。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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