Xを眺めていたら、ある投稿が少しだけ炎上していた。
ニュースになるほど大きな騒ぎではない。
投稿した本人と、数十人ほどの人たちが言い合っているような、小さな炎上だった。
最初の投稿は、それほど強い内容には見えなかった。
少し言葉が足りなかっただけで、本人にも誰かを傷つける意図はなかったのかもしれない。
しかし、一人が強い言葉で反応すると、その反応に別の人が加わった。
やがて元の投稿よりも、批判する側の言葉のほうが目立つようになっていた。
Xでは、短い文章だけで相手の気持ちを想像しなければならない。
声の調子も、表情も、その言葉が書かれた状況も見えない。
冗談のつもりだった言葉が本気に見えたり、素朴な疑問が攻撃として受け取られたりする。
そして一度悪い意味で受け取られると、後から説明しても届きにくい。
説明するほど言い訳に見え、謝ると言葉の一部分だけが切り取られることもある。
小さな炎上を見ながら、正しいことを言うのと、相手を追い詰めることは違うのだと思った。
間違いを指摘することは必要な場合もある。
けれど、大勢で同じ言葉を投げ続ければ、それは指摘ではなく攻撃に近づいていく。
誰かがすでに注意しているなら、自分まで同じ石を投げる必要はないのかもしれない。
その投稿を見たとき、反応せずに画面を閉じることも一つの選択だ。
ネットでは、何か言わなければ負けたような気持ちになることがある。
けれど、言葉を飲み込むことは逃げではない。
相手の事情が分からないまま判断しないことも、立派な慎重さだと思う。
小さな炎上は、数日もすれば多くの人から忘れられる。
しかし、炎上した本人の画面には、そのとき投げられた言葉が長く残るかもしれない。
だからこそ投稿するときだけではなく、誰かに反応するときにも少し立ち止まりたい。
今から書こうとしている言葉は、本当に伝える必要があるのか。
それとも、流れてきた空気に乗っているだけなのか。
小さな炎上を見て、ネットで必要なのは強い言葉よりも、想像するための短い時間なのかもしれないと思った。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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